1000時間の孤独

2016-06-24

後部座席を倒すことで1.3m四方程度の一枚板になり、そこにダンボールと毛布を敷いて斜めに寝ていた。対角線の長さはどのくらいになるだろう。もはやわからなかった。もし過去の自分に会ったらなに話す? 先生に懐いて数検を受けていた頃の自分に解法を聞きたかった。体は小さいほうだが足を伸ばし切ることは出来なかった。
 

2月21日(日)

生きる気がないなら死ねと言われる。
私は愚痴などは人に見せるものではないと思い外に出さないようにしていた。
それがいけなかったのだろう。
自分のために言いたいことを言うべきだ。
 

2月24日(水)

どこにも帰れなくなり山奥の橋の下で夜を明かす。
寒すぎて寝られず、ぼんやりした意識で暖房を全開にして寝る。
暑くて目が覚める。
 

2月26日(金)

ワイパーの水が切れていたので近くの川で水を汲む。
水が冷たい。
 

2月27日(土)

ガソリンと食料が尽きたので下山する。
同居人が居ないことを確認してシャワーを浴び毛布を回収。
働いていなくても土日は気が楽。
 

2月28日(日)

明日は29日。クソ忙しい年度末が一日増えるのは超ありがたいなあと、一ヶ月前は思っていたがもうめちゃくちゃになってしまった。
昨日までと同じ橋の下で過ごす。全く人気がないので落ち着く。
 

3月3日(木)

2月が終わっても寒かった。停車したままエアコンを回し続けるとマフラーから異音がして恐ろしかったので止めていた。空腹と寒さで眠れない時はなんで意識があるのかという気分になった。朝日が昇り気温が上がると安心して眠った。なぜ引きこもりは日が昇ると安心して寝るのだろう。別に待ち遠しくもない太陽だった。
 

3月4日(金)

夜標高の低いところにいると職質されるため主に山に居た。どの駐車場も例外ではなかった。車内を改められ、この黒い板はなに?これはこう、ハンドルに引っ掛けるとテーブルになる板ですというやりとりを何度もした。
とうとう練炭は発見されなかった。そんなものなくても靴下をマフラーに突っ込めばいい。
 

3月5日(土)

いつかバドミントン教室に通っていた時のジャージを常時着ていた。
常態化した残業が心地よくなりいつしか行かなくなっていた。
年末に捨てようか迷い、いやまたいつか行こうと思い直して積んだままだった。
 
数日おきに公衆浴場に通う生活が確立していた。
潔癖症なのでベタベタした手でものを触りたくなく、起きる度ペットボトルに汲んだ水とアルコールスプレーで手を洗っていた。
人間が一番汚い。
 

3月11日(金)

約束をすると必ず破ってしまうので約束はしたくないが、いつもせざるを得なくなる。
が、余裕がなく願を掛けたかったのかもしれない。目標を口に出しすぎていた。
言霊という言葉があるが、私の場合は秘めておくべきだった。
 

3月16日(水)

自由貸出コーナーにあったかつての女優のエッセイのようなものを読んだ。今ならブログで事足りそうな内容だった。こんなんで金取れる時代をうらやましく思った。
 

3月18日(金)

わけわからん農道に迷い込み、全視界が緑な場所で3日くらい過ごした。