一人と一人(2)


 『くだもののお酒の匂いがしませんか?』
 
 

 『く』の辺りですとんと意識が落ちた。肩口から指先にかけて血管の中をすっとしたものが通っていくのがわかった。目が覚めると、雪に曇った七階の病室の窓。麻酔で昼間寝かされた分はカウントされないらしく、夜はしっかり眠たかった。一泊二日の入院生活を経て、折れた骨にはこうてつプレートがあてがわれた。









 車ごと川に突っ込んでから3週間。私は地図を頼りに馴染みのない町を歩き、郊外の板金工場を訪れた。


 車内は砂まみれ、天井はVの字に凹み、ボンネットは長さが半分になっていた。どこにでも連れて行ってくれた。家を追い出された時は住んだりもした。こんな形で終わらせてしまってごめん。こんな知らん町に置き去りにしてしまってごめん。まだまだ走れたはずなのに。


 リハビリがてら借家をカンペキに清掃し、実家へ帰った。落ち込む → 自暴自棄になる→ 日常生活が続行出来なくなる → 振りだしに戻る。いつものパターン。またダメになっちゃったけどまあいいかと立ち直りかけていた。ぞうきんが絞れない以外はなんともなかったので、ほどなくしてバイトを始めた。


 彼女と出会ったのはちょうどそんな頃だった。









6月26日

 翌日。


 その日は彼女のことばかり考えていた。昨日のやりとりはたぶん何のブレーキにもならないだろう。誰かが言葉を投げかけてくれたとして、現実の自分に何の影響力もない。結局は自分が自分で立ち直るしかない。

 でも、そもそも立て直したいと思うほどの人生じゃない。私が落ち込んでいる時はそんなことを考えていた。


 自分はどうして欲しかったんだろう。どうしたらいいんだろう。文章でだめなら、実際に話してみたいと思った。感情を乗せて思っていることを伝えたい通りに伝えることができる。占いでおしゃべりの星があると言われたこともある。おしゃべりの星とは。


 彼女のページを開く。やっぱりといってはなんだが、昨日までと何も変わっていなかった。誰にもぶつけようのない感情を自身にぶつけようとしていた。誰も見てないんだろうか。あの人最近TLにいないなって見に来ないのだろうか。来ないか。私が今こうして見ているのもたまたまだった。



―うまくいきそうだった



 うまくいったら困る。ずっと見ていたい実況ではなかった。とりあえず手を止めてほしかった。夜9時半、私はまたスマホとにらめっこしながら部屋をぐるぐる歩き回っていた。どうにかして喋りたい。君かわいいね? どこ住み? ラインやってる?


 やりすぎか。晒されたら死ぬ。そもそも乗ってきてくれるかわからない。喋りたいと思っているのは私だけで、IDだ登録だなんだと手続きを踏むのも無理なように思えた。









―話すのは得意じゃない、聞くだけでもいい?

 来た。私はサンダルをつっかけ外へ出た。









 海海家山道道田んぼ田んぼ。文字で表すのが大変楽な所に私は住んでいた。うらぶれた島の農村。コミュニティの単位は勿論集落。


 街灯の下で着信音が鳴った。日常、(推定)女の子から電話がかかってくることはまずない。ちょっとドキドキする。


 見やると、非通知設定の文字。なるほど賢い。私だったら深く考えず自分の番号を晒してしまうだろう。もう晒してしまっていた。私は家の鍵もあまりかけない方だった。でも、自転車の鍵はちゃんとかけたほうがいい。


 スマホを耳に当てながら、とりあえず北に向かって歩き出した。









 聞こえてる?音出してみて。


 石かなんか投げたような音がした。独り言じゃないことを一応確認して、思いつくかぎり話しはじめた。



 かけてきてくれて嬉しかったこと。
 似てるところがあること。
 tosツイに気づいたきっかけ。
 身の上話。



 やっぱり人間関係がうまくいかないのが一番辛い。私はせっかくよくしてくれた人をないがしろにして、突っぱねられて落ち込んだ。仮に立ち直れても、もう一度同じことがあったらとても耐えられないと思った。ので飛んだ。機械に頼ったお陰で心理的な障壁はかなり低かった。しかし死なない。人体は頑丈すぎる。

 もしくは私の運が良すぎるのか? うすうすそんな気はしていたが・・・ともかく死ぬのは不可能である。はっきり分かった。


 要は一人でいるのがよくない。なので友達いるところに引っ越して、遊んでもらおうと思うんだよねー・・・。









 6月下旬の夜はまだ少し肌寒かった。暖かいココアが飲みたかった。20分ほど歩いて、農協のガソリンスタンドの自販機に目当ての品はなかった。もう夏だしな・・・コンビニに行きたいが、バスで片道860円かかる。私は来た道を引き返した。


 ふとスマホの画面を見るとDMが届いていた。返事を書いてくれていたようだった。






 似たような理由かもしれない
 これでうまくいかないなら、一生うまくいかない
 なら早く終わった方が楽だし、関わる人を傷つけることもない






 灯りもまばらな田舎道。私はスマホを片手にしゃがみ込み、暗い海に揺れる稲を眺めながら呟いた。

 どうしたらいいんだろうね・・・









 家の前を通りすぎ、そのまま南側の集落へ向かった。すべて2階建て以下、すべて瓦屋根の建物が寄り合っている居住区のことを集落という。


 今度はゲームの話をした。てかランク高ない? リリカちゃん難しない? 夏になったら海のステージが増えたりするのかな? 楽しみだな・・・


 返事はなかった。そしてたばこ屋の自販機にも暖かいココアはなかった。冷たいのもなかった。もうこの辺りに自販機はない。帰るしかなかった。


 はぁ~ココアなかったよ。日付が変わりそうだった。デイリーやって寝ようかな?




―もう寝ないといけない?










―ちょっとだけ話したい
―話してどうにかなるものじゃないけど




 SkypeのIDを交換して、10分休憩。

 どんな声なんだろう。彼女と私にはBMIが下限一杯に低すぎるという共通点があった。なんとなく想像がついた。

 歩きっぱなしでちょっと疲れた。カフェオレを一口飲む。10分経ち、彼女の言葉を待った。やがて消え入りそうな小さな声で恐る恐る話しはじめた。







 …じゃあもういいよねって言われた
 向こうから言い寄ってきたのに







 そっか・・・
 
 
 
 申し訳ないくらい話が頭に入ってこなかった。人ののろけ話(?)ってこんなにも感情移入できないもんかなぁ。性別を入れ換えれば似たような思いをしたはずなのに・・・。


 多少下心があったのかもしれないしそのせいかもしれなかった。どうしよう。困った。真夜中のバス停の小屋の中、斜め上の方ばっかり見ていた。やがて彼女は泣き出してしまった。









 さっきの彼女の言葉を反芻する。


 どうしてそんなことを言われたのか、理由が分からないようだった。どうしてこうなったのか。どうすればよかったのか。整理がつけられなくて苦しいのかなと思った。相手を責められない以上、自分を責めるしかない。


 失敗は取り返せる。壊れたものは直せるかもしれない。代わりを用意することもできる。自分だけのことなら折り合いもつけられる。


 でも、人の気持ちだけは変えられない。一度離れてしまった人を振り向かせることはできない。代わりもいない。その人のことでいっぱいになって忘れることができない。









 過去に戻れたらどうする?


 自分は戻りたいとは思わない。それは昨日の自分が知らないことを今の自分は知っていて、もし同じ目にあっても今度は失敗しない、今日のような辛い思いはもうしないから


 とかなんとか・・・。



―うん…。



 いいのかなこれで?
 女の子の考えてることなんてわからんしよ・・・付き合ったってほど付き合ったこと一度もないんだもの。私は妹あたりに助けを求めたい気分になったが夜も遅かったのでやめた。


 今日のところは眠れそう?



―うん。










 仲直りしたい? わかんない…。そのあと関係ない話も少しした。男なのか女なのか聞かれた。いつか引っ越しでアパートの電気を止めてもらう時、『ご契約者様の奥様ですか?』と聞かれたことを思い出した。女だったらもう少し仲良くなれたのかもしれない。


 おやすみを言い合って電話を切った。私は今日のところは少し楽な気持ちで寝てくれることを想像して、そしておやすみって言われることがしばらくなかったのを思い出していい気持ちで眠りについた。




 その3に続く