一人と一人(8)


もう話せないんだと悟った。一ヶ月前、毎日のように練習していた首吊りをもう一回やったんだと容易に想像がついた。


Skypeには、連絡するのよくないかもしれないけど、もう一回話したい、ごめんなさいありがとう。

DMは来ていなかった。私が送れないようにしていた。読み返せないようにしていた。歯の浮くような過去のメッセージも全て。


いくつかメッセージを送った。後から読み返して、あんまり暗すぎてこれじゃ仮に生きてても返事はもらえないなと思って書き直して、もう一回送った。


瓶詰めの手紙を流すようなものだなと思った。誰かに読まれる可能性が万に一つもないという点を除いて。










それから一週間は、どうしてこうなるって気付かなかったのか、なんで誰も止めなかったのか。

二週間経って、もう灰になっている、人を殺してしまったという実感。

三週間、何もかも手につかなくなった。楽しいもの、美しいもの、おいしいもの。何かに感化されたとして、その何かは自分の方を向いていない。



何週間かぶりに親戚のいる病院に行った。友だちと連絡が取れないんだよね・・・。それはいいけど、週に一回くらいは来いよ。

そうだよね。私以外にとっては取るに足らない些事だった。










8月中旬、近所のキャンプ場は大勢の人で賑わっていた。活気の失せた町並み、漁港に漁船、浮島、神社仏閣、山、田んぼ。島というものは、適当にその辺を走っていても楽しいものだ。


湖はしょっちゅう見てるだろうけど、海はどうだろう。見飽きた道を走る度、隣にいてくれたらどんな反応をするだろう? 考えずにはいられなかった。









それから2ヶ月ほど家から出なかった。親戚の所にも行かなかった。何の問題もなかった。自分が世話する必要はまったくなかった。


目が醒める度、意識があるのが嫌になった。たまの食事と睡眠以外何もしなかった。テレビも観なかった。つけてみて、美味しそうな料理が映って、二人で食べたらもっとおいしいだろうなと思うと5分も観ていられなかった。


やがて夏が過ぎ、蝉の音もまばらになっていった。波の音だけが聞こえた。寝ても覚めてもそれだけが続く。ノイローゼになりそうだった。窓を開けても海しか見えない。その先には誰もいない。









自殺を手伝うことは罪になる。私は自殺の方法を紹介したことが、自殺幇助に当たらないかと考えた。

10月も終わりに近づいた台風の夜、私はいつか降りなかった駅の改札を通り、近くの警察署に行き、一部始終を話した。



名前も分からないのではどうしようもない、仮にその人が亡くなっているとしても、既に捜査していて、あなたに連絡がいかないのはそういうことである。

変な考えは起こしたらあかんよ。



訳の分からない話を親身になって聞いてくれた。ありがたかった。でもそれまでだった。初めから分かっていた。やってることはストーカーだ。なんで名前すら知らないんだろう?

名前どころか何も知らなかった。必要なかった。彼女がいてくれさえすればそれでよかった。










私は運命論というものを信じていたし、加えてものすごく運がいい人間なのだとも思っていた。運がよかったから今日まで生きていて、そのお陰で彼女に会えた。

単に頭が悪いから死に損ねただけで、残りは全部偶然だった。何の罪もない一人の女の子を破滅させるために今まで生きてきたんだと分かった。

そしてそれを誰に責められることも罰せられることもない、謝ることも購うこともできない。私と彼女は縁もゆかりもない完全な他人同士だった。


別に病気だとかメンヘラだとかは思わなかった。私と似たようなもんだと思っていたし、私は病気でもメンヘラでもないからだ。自分の物差しで勝手に判断して、どうして辛いのか、どうしたら軽くしてあげられるのか、何も考えてなかった。ただ単にいなくなったら寝覚めが悪そうだからちょっかい出しただけだった。


いつか、まだ直接話すようになる前に書いていた。慰めとかいらないからじゃあ死になよって言ってほしい。こんなにいじらしい言葉はないと思った。誰かを人質にしてまで生きていたくない。人質になったってよかった。なろうとした。私がいれば大丈夫だと思いこんでいた。バカバカしくて笑ってしまう。私自体大丈夫じゃないのに。案の定私は彼女の前からいなくなり、そして彼女も私の前からいなくなった。










最後のツイートにもいろいろ書いてあった。落ち込んでる時に優しくしてくる奴は悪人。ちゃんと死ねるように環境整えてくれたんだ。とどめ刺したかったとしか思えない。

言ってくれるじゃん。落ち込むよ。


なんであの時いい思い出のまま死なせてくれなかったのか。
生きてればいいことあるのは知ってる、楽しみなこともいろいろある、けどそのために頑張ろうとは思えない。
その人のためなら頑張れるって思ったのに。










心と体は分かたれている。体は本心でしか動かない。本当の指令しか受け付けない。死にたいと思っても死ねないのはそのためだ。死のうと思って死んでしまうのもそのためだ。私は彼女の本心をどうしようもなく捻じ曲げてしまった。

本当は心の中にしまっておくつもりだった。無責任に振り回した挙句一人の人間を死なせてしまった。いつかやっていたニュースと変わりない。彼女も過去の出来事を吹聴されたくないだろう。


でも、もはや私一人だけのものになってしまったこの思い出を一人で抱え続けることができなかった。彼女はもういないのかもしれないし、ただ嫌われただけなのかもしれない。分からないままなのが辛かった。分からないままで何もできなかった。書き終わったら区切りがつけられると思った。好き勝手書いたことは、あとで謝りにいけばいい。


もしくは、読んだ人が間違いを見つけて何かに活かしてくれればいいと思った。読まないか。人ののろけ話ってなんでこんなに感情移入できないんだろうって思うだろうか。










今までのことを思い出している間だけは心が安らいだ気がした。今の彼女のことを思うと苦しくなってどうしようもなかった。何か一つ違えばこうはならなかったとも、いずれこうなっていたとも思う。

そもそも初めから、関わりさえしなければよかった。他の誰でもよかったはずだ。私しか気付かなかったんだ。