高橋祥友著『自殺のサインを読み取る』

2020-02-01

人生とはなにか?生きることである。

では生きるとはなにか?



単に心臓が動いて血が巡るだけのことではないだろう。死ぬまで寝ているのなら、それは生きているとは言えない。どこにもいけないなら、誰にも会えないなら、それも生きているとは言えない。

なにが言いたいのか? 私はこの本の中に私を見つけた。おそらくあなたもいるだろう。


もくじ


なぜ読もうと思ったか

私はいろいろあって『自殺した人の家族がその後どうなるのか』知りたかった。私が死にたくて、その後どうなるのか知りたかったわけではまっったくない。そんなの知ったこっちゃない。

そんな時に図書館で偶然手にとったのがこの本である。

目次を見ると、巻末に『遺された人々』というタイトルで一章設けられている。

容易で、免許取らせてくれてありがとうと感謝したことはない。



喪失体験
ある人にとって非常に価値ある存在を失うこと。例えば、経済的問題・地位の失墜・病気や怪我・近親者の死亡・訴訟を起こされるなど。

事故を繰り返す傾向

未熟・依存的
自らの能力の範囲で葛藤に対処できない。これまで支えられてきた人から見捨てられる体験を契機として、抑うつや自己破壊傾向を呈することも多い。

依存・敵対的
未熟で依存的でありながら、さまざまな要求を周囲の人々にして。周囲もそれになんとか応えようとする。しかし、周囲がどれほど好意的に応じても、それに対して不満を持ちやすく、あるいは他人の怒りを故意に引き出す傾向さえある。他者を刺激して敵意をかき立てて、あえて自分を見捨てるように仕向けることさえ起こり得る。

衝動的
攻撃性を十分に処理できない。

完全主義的傾向
自分の価値を極めて低くしかとらえられず、それを克服しようとして、病的なまでに完全主義的傾向を示す。周囲からは優秀だと思われていても、本人には自己の存在価値への根深い疑いがある。

孤立・抑うつ的

反社会的
問題児扱いこそされていても、抑うつ傾向については、周囲からまったく考慮されていないことのほうが圧倒的に多い。

児童虐待
幼児期に受けた虐待が、「自分は守るに値するだけの存在ではない」「人から愛されるはずがない」といったメッセージとしてその人の心の奥深くに焼き付けられてしまう。

他者の死から受ける影響
家族や精神的に強い絆のあった人の死をどのように受け止めていたか。誰の死を経験し、それはどのような死だったのか。重要な関係にあった人が自殺した場合は、病死や事故死以上に、はるかに強い精神的な打撃を受ける可能性がある。

深い孤独感

自分がこの世でたった一人きりで、誰も救いの手を差し伸べてくれないと感じ、深い孤独感や孤立感に圧倒されている。
恵まれない環境に置かれた子どもは、強烈な分離不安に圧倒され、頼りにしている大人から希望に満ちた慰めや愛情を得ることができず、強度の悲しみや苦痛を覚える。激烈な不安にさらされた子どもは、危険な状況に対して楽観的な態度を育むことができない。
ひとりで放っておかれた時の辛さに耐える能力が十分に発達しないと、後年、情緒面での障害を引き起こす危険が高くなる。

無価値感

極度の怒り

窮状が永遠に続くという確信

自分の置かれた苦しい状況が一時的なものではなく、永遠に続き、それを改善する余地などまったくないという強い確信をしばしば抱いている。
周囲の健康な人にはいくらでも解決策は思い当たるし、救いの手を差し伸べられる準備ができているのに、当人だけが、自分の置かれた苦痛に満ちた状況が永遠に続くと固く信じている場合もある。

心理的視野狭窄
諦め

全能の幻想

現状にすっかり絶望している人は、将来に対してもどんな希望的・楽観的な展望もまったく描くことができなくなっている。現在、自分が置かれている状況を一瞬にして変えることなど不可能である。
このような状況に置かれた人が、たったひとつだけは今すぐできる、自分のコントロール下にあるという結論に達してしまうことがある。「自分の生命を断つことだけは今すぐできる」。


なんらかの目標に向けて過ごしていくことではないかと思う。


学校をサボるのはいいことか悪いことかと言ったら、まぁよくはない。よいこと(メリット)がない。勉強は遅れるし、内申にも響く。

かといって悪い行為というわけでもない。誰かに迷惑をかけているわけではないからだ。原因


性善説。人間の本質は善である。


なんでこのよくないことがやめられないのだろう?


本気になってくれる
『人生二週目』という言い回しがある。

性悪説を擦り込まれている


はっきり言って一人の力では立てないし、都合のいい他人なんていない。