これは案外単純です。
学校に行かないと死ぬからです。
学校に行けないと、たぶん会社にも行けない。
会社に行けないとお金を稼げない。
家賃とメシ代が払えないので死にます。
人間の主な死因
- 餓死
- 凍死
- 病死
- 事故死 *1
- 寿命
自殺しない限り死ねないと勘違いしてませんか?
「餓死」か「凍死」する可能性があります。
『学校行かない=そのうち飢えて死ぬかもしれない』ので、ストレスになります。
ただこれは、金がどっかから降ってくれば解決できそうです。どかどかと。
上の死因には欠けているものが一つあります。
「孤独死」です。
いくら金があったところで、一生一人で生きていくことはできない。一生ゲームでもして気分を紛らわし続けることはできない。たぶん寂しすぎて死ぬでしょう。
話し相手が必要です。でも、家にいる限り友達には会えません。
『普通に学校に通えない』『周りと同じことができない』ことも孤独感を煽ります。
『学校行けない=この先も一人かもしれない』ので、ストレスになります。
餓死とか孤独死とか、なぜそんな寂しい未来を想像してしまうのか。
まだ若いのになぜそんな心配をしてしまうのか。
それは今孤独だからです。
『生きていていいんだという絶対的安心感がないから』です。
ご飯食べられなくなるかもしれない物理的な不安。ずっと一人かもしれない精神的な不安。
周りの元気な人たちはたぶん、どっちの心配もあまりしてない。誰かから安心感を貰っているからです。
生存することを誰かに肯定されている。それを受け入れるだけの気持ちの余裕がある。
今これを読んでいるあなたには『安心感』がないかもしれない。
ないから、めっちゃ暗い検索ワードで検索してこんなとこ来てる
あなたは生きることを誰にも肯定されていないかもしれない。
『生きててもいいんだよ』ってことがあまりなかったかもしれない。
でも、否定もされていません。
「自分は死ぬべきだ」と思っているのは自分だけです。
自分以外の誰にも否定されるいわれはないんです。
万が一「死ね」って言われることがあったとしても、それは相手の問題です。
いくら相手の言うことが正しいと感じても、相手がやることです。
自分でやることじゃない。
まとめ
- 人間は「寂しい」か「食うもんない」と死ぬ
- 学校に行かないと上の二つがだんだん心配になる
- 「自分は死ぬべきだ」と思っているのは自分だけ
家と食べものはなんとかなります。そもそもこの令和の世では、修行僧であっても餓死することは困難なはずです。Wikipediaの即身仏のページをご覧ください。
だからホームレスになってのたれ死ぬ心配は一切いりません。なりそうになったら心配すればいいんです。問題の先延ばしです。先延ばしっていい面もあるんですよ。
寂しいのと、「自分は死ぬべきだと思ってしまう」のはどうしましょう。
これはちょっと、時間かかりそうなので先延ばして別の記事に書きましょうか。
*1:わざとを含む