やりたいこと・やるべきことができないとき。理由は↓の3つのどれかです。
- まだその時ではないから
- 本当に必要ではないから
- 希望がないから
追い込まれないとできないことってよくあります。夏休みの宿題とか。でも大体は「その時が来ればできる」んです。宿題やらなきゃなのに部屋の掃除がしたくなるのは自然なことです。掃除をしましょう。
または、例えば英語喋れるようになりたいな~と思ったとする。それをマスターするところまでいかないなら、自分にとって本当に必要なものではないのかもしれない*1。手に入れる。諦める。別のものが欲しくなる。すべて正しい。
または、やったところでどうにもならないと思っている。「こんなん誰が読むねん」と希望が持てないから今書いているこの文章いつまでも書き終わらない。
希望はどこにあるのか。人間は「自分をよくしたい」と常に思っている。この気持ちを希望と呼ぶ。
明らかに困っている子どもがいるのに、大人はどうして役に立たないのか。
- 脳の大きさが大して変わらないから
- 自分のことで精一杯だから
- 全人類が人生初見プレイだから
脳の成長は大きさだけで見れば高校生くらいには止まる。*2その先は経験次第。
そして人間は基本的に「自分が生きるために」すべての時間を使う。真に他人のために時間を使うことがあるとすれば、それはその人の人生について考えているときである。
人を傷つけるようなことを言う。バカみたいな行動で炎上する。誰でもできることが自分だけできない。その理由もわからない。
それは私たちが人間やるの初めてだからです。根っからの悪人がいるわけでも、心が弱いわけでもない。全人類が人生エアプだからわからないんです。
世の中の理不尽なことは全部これです。
・・・みたいな、「どうすれば生きやすくなるのか(哲学)」的なことをずっと考えています。
去年、学校を休みがちでODもしている受験生の方と喋る機会がありました。私はその人に対して、何もできなかったです。3か月以上音信不通です。どうなったのかさっぱりわかりません。どうしてうまくいかなかったのか反省や考察が山ほどあります。
ただ、その人がいなければ今の私はいないです。この文章もありません。知り合ったことも、何もできなかったことも、今になってこれを書いていることも、すべて起こるべくして起きたことです。今誰がどうなっていようとも。今日の自分は常に昨日の自分よりいいです。なぜなら昨日より考えた数が多くて、物知りだからです。
そして、その人は今も生きていると思います。事故と寿命以外で人が死ぬのはフラれたときだけです。名前書ければ入れるような学校行こうが、ひきこもっていようがどうにでもなります。生きている間だけは。
*1:ここだけ人の受け売り