読書感想文

ー以下続刊


中2くらいから本を読むようになった。“文学少年”という言葉に憧れがあった。図書室に行くよりは、大きい書店の山積みのコーナーから手にとって読んだ。


初めて買った本はハードカバーの『対岸の彼女』(著:角田光代)。大人の女の人はどんなことを考えて生きているのか知りたかった。大人の女の人がなんで家からいなくなったのか知りたかったのかもしれない。それは10年以上経った今でも分からないままだが、変わらずお気に入りの一冊。


高校の頃は部活から逃げて図書室によく行った。椎名誠が好きだと言ったら、司書さんが個人的に本をたくさん貸してくれた。ハーケンと夏みかん。昼頃ゆっくり起きて、アパートの窓を全開にしてよく読んだ。寂しい夏休みの思い出。


その後も暇になる(学校や会社に行かなくなる)と図書館に行きがちである。
いつか誰かが「読書は費用対効果が少ない」と言っていた。その通りだと思う。かけた時間の割に得られたものは少ない。こんな風に色々書きたいと思うようにはなったが、いいものが書けて誰にポジティブな影響を与えられるわけでもないので自己満足で終わってしまう。


物語に浸るという意味で、読書はアニメや映画を観るのと変わらない。それらと違うのは、指でページをめくるという動作があることだと思う。私はひきこもって時間を延々ムダに消費する一方、テレビの前でじっとしているのは時間のムダだなと思う。じっとしていられないのは多分なんらかの病的な傾向の一つなのだろう。
読書は“誰かと感想を共有しづらい”という点でアニメや映画に段違いに劣る。わざわざ本のあるところまで行く必要があり、またたどり着いたところで本が多すぎる。同じ本を読んでいる人を見つけられないのである。『本が多すぎる』というタイトルの本もあるくらいだ(誰が読むんだ?)。


人間は感情を共有したい生き物である。分かってもらいたい生き物である。でも、そういうのもういいやという無気力さからまた私は個室で一人ページをめくる。