一人と一人(9)

10月22日(日)

半年前予約した通院日が迫っていた。あと数回通って、折れた骨を固定しているプレートを抜いてもらって、めでたく元通りという寸法。後々島を出てからのことを考えて転院はせず、最初に診てもらった本土の病院に通い続けていた。

予約をすっぽかそうが怪我がどうなろうが最早どうでもよかったが、私には海を渡って確かめたいことが一つあった。身支度を整え、二ヶ月ぶりに家を出た。


すっかり陽も短くなった夕方5時過ぎ、隣の集落の停留所まで歩きバスを待った。日に何人も利用しない路線なので本数は少ない。次のバスが最終便である。


雨雲が立ち込め、辺りはさらに暗くなった。台風の前触れ。恐らく明日の船は欠航になるだろう。いつか出かけた時も台風が来ていた。あの時と同じ服を着ていた。

やがてバスが来た。一歩前に出る。大きなフロントライトに照らされ思わず目を細める。が、バスはそのまま通り過ぎてしまった。


今晩の船を逃すと診察に間に合わない。バス会社に連絡して港まで送ってもらい、どうにか19時半の船に乗ることができた。22時過ぎ新潟港着。ネットカフェで一晩過ごし、明朝またバスに乗って目当ての病院へ向かった。







10月23日(月)

病院を出る頃には15時になっていた。今日の予定はこれで終わり。どうするか。このまま帰るか。







10月24日(火)

明朝京都駅。


そこから電車に乗り、いつか降りなかった駅の改札を通った。駅前にはコンビニと公衆トイレ、隣には湖に続いているであろう細い川。道沿いには数階建ての大きなスーパー、パン屋、床屋、車屋、そして大きなグラウンドの学校があった。どこにでもありそうな普通の町だった。いつか同じ道を通り、同じ景色を見ていたのだろうか。


目的地の図書館へ。ロビーには地元の人のものであろう絵が展示されていた。館内に入り、いつか薦めて読んでくれた本がないか探してみたが、見あたらなかった。適当な本を一冊選び、座ってしばらく読んだ。それから司書さんに頼んで、7月下旬から8月頭までの地方紙を出してもらった。手がかりは何も見つからなかった。


駅まで歩いて戻り、道沿いのスーパーに入り、ベンチに腰掛けた。端の席で学生たちが談笑していた。何も食べていなかったが、食べたいものも見つからず店を出た。夕方になり、完全に陽が落ちた。それから当てもなく歩き回った。


南に向かうと、夜の琵琶湖が見えた。私が普段海でよく見るのと同じような小さな港があった。そのまま湖岸に沿って歩いていった。点在する外来魚回収ボックスを避け、石畳を歩き、工場跡を抜けると、小さなお寺が湖上に浮いていた。瓦屋根の家が並ぶ路地を通り、町の方へ戻った。







10月26日(木)

それからしばらく京都にいた。適当なゲストハウスを見繕って夜はそこで過ごした。石橋や古い町並みの残る祇園、その飲み屋街の雑居ビル。四条通りの外国人がとにかく多くてお風呂が派手な宿。新築のアパートのように居心地のよい鴨川沿いの宿。3日も経つとすっかり土地感覚を掴んでいた。


四条通りから少し外れたお店でお茶を点ててもらって飲んだ。おいしかった。いつか茶道部にいた時、京都の学生茶会に行く話があったが、その時ひきこもっていて私だけ行かなかったのを思い出した。


よく晴れた風の強い日、電車で琵琶湖の周りを一周した。平日昼間の湖西線は北上するごとに人影もまばらになっていった。残った老夫婦も降り、乗客は私だけになった。ただ座ってぼーっと外を眺めるだけでも私は楽しい。もしこんなデートでもついてきてくれただろうか? 途中乗り過ごし、福井の敦河まで行って引き返した。

山々の緑がとにかく綺麗で、もう返事の来ないSkypeにメッセージをいくらか送った。いつか「来るなら春か秋がいいよ」と言われていたが、紅葉にはまだ早かった。

夕方、縁もゆかりもない市井の人々と一緒に電車に揺られた。各々にそれぞれの生活があり、今日もまた一日を終えて家路につくのだろう。私にはそれがない。帰りたい家もない。とうとう一周し終えて山科へ。このままずっと西の方へに行ったらなんとなく楽しいだろうなと思った。どこまでも行けそうだった。行っても私にはなにもないのでやめた。


駅から小一時間かけて清水寺まで歩いた。雨の日にも関わらず人が多く、お寺へ続く坂道の両端では屋台やお土産屋さんが賑わっていた。お寺自体は改装中らしく、足場やシートに囲まれていて残念だった。


街中で「生まれた瞬間だけは自分が選ぶ」という占いをやっていて、見てもらった。私は占いを統計的なものだと思っている。どう統計をとっているのかは知らない。怠惰な性格について概ね言い当てられた。あと、おしゃべりの星がある。書き物が好き。







10月27日(金)

今回のことについて書くか迷っていたが、書くことにした。他にやりたいこともなかった。色んな場所でキーボードに向かった。ゲストハウスの待合室、図書館、京都タワー3Fエスカレーター横のベンチ。書き終わるまでここにいたいと思ったが、何日かかるか分からないので諦めて帰ることにした。


金曜日の夜、私は警察署に向かい、先のページに書いたようなことを訪ねた。夏に同じやりとりを電話でしていたし、直接行ってもムダだということはわかっていた。危害を加えたことにして事件になれば調べてもらえるのではないかと思ったが、言えなかった。近くで交通事故があったらしく、署内は少し忙しなかった。


一番気に入った鴨川沿いのゲストハウスにもう一泊した。春の河川敷を見にまた来てくださいと言われた。久しぶりに人と話したなと思った。島に帰った。







11月7日(火)

賑やかな街から、再び寂れた島の果て。


死ぬまで眠るためだけにあるようなこの部屋では書けない。かといって毎日片道一時間かけて図書館に通う気力もない。毛布3枚と着替えとパソコンだけ車に積み込み、また家を出た。それから車の中・図書館・銭湯の3ヶ所をローテーションしながら書き続けた。


今日は初めて話した日のことを。行き詰まったら別の日へ。記憶を5つに分け、平行して書いていった。思い出している間は半年前に戻ったみたいに楽しかった。飽きずにひたすらそれだけやっていた。やっていることが無意味過ぎて車から一切出ない日もあった。二日前から見た今日は三日目で、あっという間に時間が過ぎていった。今年が残り一週間になった時、最後のページ以外書き終わった。ごちゃまぜになっていた最後のページは、思いの外早く整理できた。



その10に続く